カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 east[79]

投稿日:2013年10月11日

たどり着けなかった公園

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2008年12月4日

 稚内港の北防波堤ドームから稚内駅に戻ると、稚内のシンボルの稚内公園に行く。駅の正面に見える海岸段丘(高さ約80メートル)上にある公園だ。
 稚内駅の駅前通りにはまったく雪はなく、アイスバーンもなかったが、稚内公園への道はかなりの厚さの氷道。ツルンツルン滑りながら路肩を登ったが、ついに登りきれなくなり、タイヤは空転するばかり。残念ながらその地点から戻ることにしたが、下りも大変。からくもアイスバーンの消える地点まで戻ったときは、思わず「やった!」の声が出た。
 稚内に来るたびに稚内公園には行っているが、そこからの眺望はすばらしいものだ。
 眼下に稚内の市街地と稚内港を見下ろす。稚内の町並はこの海岸段丘と海岸の間に細長く延びている。右手のはるか遠くには宗谷岬が、左手にはノシャップ岬が見える。
 稚内公園には稚内の開基100年を記念して建てられた「開基100年記念塔」がある。その展望台からの360度の大パノラマは圧巻だ。右手にオホーツク海、正面に宗谷海峡、左手に日本海と、稚内を取り囲む3つの海を一望し、サハリンと礼文、利尻の島影を見ることができる。
「氷雪の門」は樺太への望郷の念と、かの地で亡くなった大勢の我が同胞の霊を慰めるもの。望郷の門とブロンズ像、黒大理石の霊石が一体となって、サハリンを真正面に眺める高台の上に建っている。その隣の「九人の乙女の碑」は、終戦直後の1945年8月、ロシア軍による樺太の真岡(現ホルムスク)への攻撃の最中、真岡郵便局の交換台を最後まで守り抜き、そして自ら命を絶った九人の若き電話交換嬢の霊を慰めている。その碑には「皆さん これが最後です さようなら さようなら」の彼女たちの最後の言葉が彫り刻まれている。
 そんな稚内公園に行けなかったのは何とも残念なことだが、気分を入れ替えて稚内港のフェリーター埠頭に向かった。

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稚内駅前を出発
稚内駅前から稚内公園を見上げる


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稚内駅前の大通り
稚内公園への道は恐怖のアイスバーン


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